「さいはての園にて」−In The Park−
ナナシノ
「展示館やプラネタリウムもいいんですけど、今日のデートは少し変わったところに行ってみませんか」
よく晴れたデート日和の校門で、財布の中の「博物館のチケット」を確認した善行は提案した。
了解した舞が連れて行かれた先は熊本城公園の中に併設された動物園だった。
戦争中の園内はしんと静まり返っていて、客の数と比例するようにそのほとんどがからっぽの檻だった。
かつてはここもはしゃぐ子どもや歩き回って疲れた親の姿であふれていたのだろうか、
点在する遊具も時間の中ですっかり色褪せて寂しげな雰囲気を醸し出していた。
広くもない動物園を善行と舞はぐるりと見回した。
「ウサギとか、ああいう類の小動物も居ないみたいですね」
「そのようだな」
「なんだか『かわいそうなぞう』の話を思い出してしまいますね」
善行はメガネを外してビタミン不足の目をぎゅっと押した。
「それは小説か？私はフィクションはほとんど読まないので内容を知らぬ」
舞はどうやらこの話を知らないらしい。
「えーと、あれはノンフィクションの筈ですが……教科書で勉強しませんでしたか？」
「私の記憶にはないな」
「そうですね、近頃の教科書には載っていないのかも知れません。反戦話ですから」
それなりに平和だった僕らの時代の教科書にはまだ載っていたんですが。――如何せん、年寄りなもので。
と彼は苦笑し、眼鏡を一度指で上げると彼女のためにあらすじを説明した。
「簡単に言うと、日本がアメリカと戦っていた頃、今から半世紀ほど前の話です。
戦況が悪化して、動物園にいた動物は軍部の命令で銃や毒でみんな殺されたのです。
その中でも象は賢いので毒入りの餌を食べなくて、結局はがりがりに痩せて死んでしまった。
それで『かわいそうなぞう』という題なんです」
「動物まで殺す必要があるのか？」
「もし檻が壊れてごらんなさい。猛獣が逃げ出したときに人間が危険でしょう。
それに……」
「それに？」
「…………ある程度の知性を持つ動物は、幻獣と同化して我々人類の敵になるかもしれないですからね」
善行は主の居ない檻に近づき、頑丈そうな鉄の棒をそっと握った。
「たぶん、かつてここに居た動物たちも同じ理由で始末されてしまったのでしょうね」
動物のいない檻。主のいない動物園。
まるで我々人類の行く末を見せられているようだ。と善行は呟き、
焦茶色の錆びのついた檻から手を離すと、近くにあった安っぽいベンチに舞と共に腰掛けて話し出した。
「人類はかつてない進化の袋小路に入っています。
自然生殖できない我々はクローン技術で増えていますが、
クローンでは突然の変化に対応しきれない。
我々はオリジナルより身体は強化されていますが
人間がコントロールしている分、逆に遺伝子の多様性が限られています」
「遺伝子の多様性……本来なら『遺伝子は結合を繰り返し、世代ごとに少しずつ進化する』ということか」
教師の意図を優秀な生徒が汲み取るように舞は答え、善行は続けた。
「そうです。その業が神から人の手に渡ることで限界が来てしまった。
いくら技術が発達しようとも人の把握できる事柄には限りがありますからね。
遺伝子の多様性が減った現在、たとえば強い流行性を持つ致死的な疫病等が発生して
その対策が間に合わなかった時、人類はあっという間に滅びるでしょう。
複雑な遺伝子の多様性を作り出すことが出来るのは自然生殖ですが、
それを可能とするオリジナルの人間は絶滅寸前です。日本では確認されている限り１人しかいないそうですよ。
世界規模で見ても、もう……」
善行は遠い眼差しを空に向けながら話し続けた。
「仮にオリジナルが男女一人ずつ居て、複数の子どもを設けることができたとしても
その子ども同士では親から受けた血の濃さが影響して、種の多様性はストップしてしまいます。
良く言われる『アダムとイブの説話』は現実的には不可能なんですよ。
よって、オリジナルが自然生殖をしてもさほど遠くないうちにエンド、です」
舞も善行につられて空を向いたが、
視線の先は雲一つなく晴れ、そこには自由なはずの鳥や虫の一匹さえ見つからなかった。
……二人はしばらくの間、無言に時を過ごした。
「すこし興味があって調べたのですが」
戦争中に何やってるんですかね。私も。と沈黙を割った善行は自嘲をかすかに浮かべる。
「最後のオリジナルは野に放たれたらしいです。
このままでは滅びる一方で、保護しても意味がないからです。
彼はオリジナルだという証明を消して、今はクローンの群れの中でごく普通に生きているという噂ですよ。
政府もその消息は掴んでいないらしくて、以降のことは調査できませんでしたが」
――以上、私の知っている話はここまで。
といって善行は肩をすくめ、腕を横に広げるジェスチャーをした。
逆光を放つ眼鏡の底の瞳は舞には見えなかった。
「芝村ならもしかしてオリジナルの行方を知っているかもしれませんが」
「……そなた、行方を知りたいのか？」
「一度会ってみたいのです。最後のオリジナルに。『彼』に、いや、『彼女』かもしれませんが――
今の世界がどう見えているか、訊いてみたい。戦いを繰り返す我々の愚かさがどう見えているかを」
心の内を開く青年の瞳を舞はもういちど見た。今度は見えた。彼が理想を語るときと同じように、それは澄んでいた。
舞はベンチから立ちあがると、半身だけ善行の方に振り向いた。
「私は芝村だが、オリジナルの行方は知らない。そんなことは既にどうでもいいことだ。
オリジナルという生まれだけで自分が特別扱いされるのは私は嫌だ。
……いや、その……私がオリジナルだとしたらそう考える、ということだが……。
それに、そなたが期待するほどオリジナルとクローンの考えは変わらないと思うぞ。
そもそも『思想』とは生まれてからの教育で形作られるものであるからな」
言い終わり、舞は全身振り返って善行を見つめると
「まあしかし、オリジナルが聞いたらきっとそなたの気持ちを喜ぶであろう。
オリジナルの行方を気に掛けている者はこの地球上でもう他にはいないだろうから」
――彼女にしては珍しく、にっこり笑った。
「芝村に褒められるとは光栄ですね」
おどけて善行も微笑を返した。
「どちらにせよいつかは滅びるはずなのに私たちは何をしているのか、なんて時々思います。
『男女がひとり残れば我々の勝利だ』などと嘘を吐きながらね」
善行はベンチから姿勢良く立ち上がると唇端を上げ自らを嘲った。
「嘘も方便として使い、精一杯足掻くのが人間というものだ。
それは生きるための意志を持つ存在。私は仮に最後の一人となっても戦うが、そなたはどうなのだ」
その問いかけに、善行は思わず隣の真っ直ぐな存在を見つめた。
ひと呼吸置き、答える。
「足掻くのが嫌なら私はとっくに軍を辞めていますよ。
人間がこの先滅びるとしても、いま私が愛している人たちが生きられる程度の
時間稼ぎはできるでしょうから……思い出のために戦うんです」
舞は、すぐ横にいる善行にさりげなく手を差し出した。
「……突然だが、今日の私は珍しく機嫌が良い。特別に、そなたに手を繋ぐことを許す」
「おやおや……」
善行はいつもと違って積極的な舞の言葉に一瞬戸惑ったが、
誰にも気づかれないように目を細めると舞の細い手をそっと掴んだ。
二人は動物園を後にした。再び、自分たちの戦場に戻るために。
ＥＮＤ． |