「最後はヌード」
月の光が柔らかくさしこむアパートの一室。
私、善行忠孝はふと目を覚ました。腕の中で眠っている彼女は静かな寝息を立てている。
長いさらさらの髪の毛を指で優しく梳くと「ん……」と甘い息を吐いた。
◆
話は昨日にさかのぼる。
「今日の夕飯は、私の家で食べませんか。猫もいますよ」
私は朝のプレハブ校舎前で舞さんにこう提案した。
いつも夕飯は味のれんで一緒にとっていたが、今日は思い切って家に誘うことにしたのだ。
夜に異性を家(しかも私はアパートで一人暮らしだ)に誘うということは、
まあ、その、なんだ、いわゆる、アレです。アレ。
……要は「下心でいっぱい」なのです(自白)
夕飯のみならず猫までも口実にするあたり自分でも卑怯な手だなと感じましたが
明日をも知れぬ我らの人生、このくらいのことは許されますよね。
などと自分の行いを正当化してみたり。
ハンニバル、スキピオ、ごめんなさい。心の中で手を合わせた。
「ふむ……ま、ま、まかせるがよい」
舞さんは照れ照れ顔でそう答えた。どうやら意味が通じたらしい。
(あーっ、可愛らしいっ。ぎゅーっとしたいですッ)……ヨコシマな気持ちを理性で必死に押しとどめる。
ここは学校・そして軍隊。隊内では恋愛は御法度、禁じられた遊びなのだ。
かてて加えて「上官と部下」おまけに一歩間違えば犯罪?な年齢差。
これでもかというハンディ。ということで二人の関係は「秘密」だった。
その手のシチュエーションに於けるお約束通り燃え上がる二人だったが、
映画館デートのキスの一件以来どうもイマイチ進展がなかったのだ。
私はバレることに臆病だったし、舞さんは現代っ子にあるまじきほどオクテ。
加藤さんに知られたとしたら「そりゃ進みませんわ〜」などとツッこまれそうな事態を打破するために
思い切って誘ってみた本日。
トラトラトラ、作戦は無事成功せり!うれしさのあまり、授業中に当てられてもすっかり上の空で
「ポエニ戦争で勝利したのは、ローマ軍です……」
「馬鹿!お前、ナニ言ってるんだよ。今は英語の授業中!罰としてこのページ全部てめえで訳しやがれ」
英訳1ページまるまる当てられる羽目になったくらいだ。
さんざんな授業が終わった後、舞さんが機嫌のよろしくない顔でつかつかと私の方に近づいてきた。
「善行、なにをしておる。ばかもの。おおかた、ヘンな……ヘンなことでも考えていたのであろう……」
ええ、大当たりです。でも、ここで否定しておかないと後が怖い。
「そ、そんなことないですよ」
「顔に出ておる。想像するなら私に許可を求めよッ!」
「あまり大声を出すと付き合っていること皆にバレますよ」
ボソっとつぶやくと
「うっ……」
舞さんは言葉に詰まった。
「ハイ、これ」
誰にも気づかれないように、しれっとした顔で小さな紙切れをそっと手渡した。それにはこう書いてある。
「今夜八時にアパートで待つ」
◆
授業も仕事もあっという間の早さで終わり、やがて夜の時間がやって来た。
「ニャウーン。フニャア」
「猫は可愛いな。ふわふわしていて……よい」
食事をした後、舞さんは我が家の猫を抱いてひたすら撫で撫でしていた。
ほんの1ヶ月前まで猫の手さえ触れられなかったことを考えれば偉大な進歩だ。
「猫と美少女」という見ていて微笑ましい光景。
でも、今日は家の猫と遊んで貰う為に誘ったのではないんですよね……。……私は腹を決めた。
「猫もいいですが、私には……触ってくれないんですか?」
背後からそっと舞さんに近寄って抱きしめる。彼女の細い身体が一瞬びくっとしてふっと力が抜けるのを感じた。
にゃー。猫はその隙に彼女の手元からするりと抜けて隣の部屋へ走っていった。
「な、何を言うかッ」
口では怒っているふうだが、反撃してこない様子で気持ちが分かった。
「私は触りたいんですけどねぇ。ふふ」
あらぬところを触る。
「…………ば、バカものっ……」
私の方から軽くキスを仕掛ける。しばらく経って少し解放したとき
「あ、あの、その……あの……」
舞さんは赤い顔で口ごもった。
「何ですか?」
「………………」
可愛い唇に深くくちづけて、ベッドにゆっくりと押し倒した。
◆
……昨日の話は以上。そういうワケです。えへへへ。
目を覚ましたことで、あのひとときは夢ではなかったと知る。
隣に眠るかわいいひと。(こういうのが幸せって言うんでしょうか……)なんてボーっと思う。
平凡な言葉。でも、戦いの中では数少ない平和な、貴重な言葉だ。
枕元の時計を見るとまだ起きるには早すぎる様子だったので、私はもう一度寝ることにした。
眠りの手に落ちようとしたその時――――
ドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタドタ。
突然、古いアパートの階段に乱暴な靴音が響いた。
この階の住人は私と老婆が一人だけ。とすると、目標は99%こちらの方だ。
自分が狙われる覚えは士官学校時代から現在まで数え切れない。
強引なやり方も取ったからあちこちで相当恨みを買っている筈。
舞の方が目当てなのかもしれないが、彼女は多分私よりも敵が多い。……よけい悪いな。
急いでベッドを抜け出し常備している拳銃の安全装置を外して玄関のドアの横に身を潜める。
「マズいですね…………」
確実に標的にされているだけ却って戦場にいる時より分が悪い。背中を走る緊張感。
最悪でも相打ちに仕留めないといけない。私は駄目だとしても、舞だけでも生き延びさせたいからだ。
どんどん。不躾にドアを叩く音。
「どなたですか?こんな朝早くに失礼ですよ」と答える。
「今すぐここを開けなさい」
女性の声だった。何処かで聞いたことのある声だがどことなく思い出せない。
「名乗らない相手には開けないことにしてるのですが。最近はいろいろ物騒でね」
こちらの分が悪いのは明らかだが、偽りの余裕を見せつけるつもりで皮肉った。
「それでは、実力行使致します」
メリメリと非道い音を立てて木製のドアはいとも簡単に蹴破られたが、
その瞬間を狙い、陰から敵の盲点を突き相手のこめかみにビシっと銃をつきつけた。
――なんとか成功。微妙に安堵する。
これで心理的に先制だ……と思ったところで銃口の先の相手を見て私はギョッとした。
敵ではないはずの人間が、そこに居たからだ。
フランス人形のような美しい顔立ちの栗色の髪の女性(と、部下らしき男が2人)
それはよく知っている顔で――
「さ、更紗副官殿……!?」
「善行上級万翼長、銃を下ろしなさい」
モニター越しと同じ冷静な表情の彼女。
ひとまずここで殺されることは無いだろうと判断して銃を下げる。
「部下と言いましてもプライベートの時間まで邪魔するのはどうかと思いますが」
私はメガネを指で押し上げながら精一杯の嫌味を放った。副官はキッとした目でこちらを睨む。
「失礼。勝吏様の命令で来ました……舞さん、そこにいますね?起きなさい」
振り返ると、小柄な身にはぶかぶかの白いシャツを着た舞がスッと立っていた。
どこに隠し持っていたのか、オートマチックを副官に向けている。
「私ならもう起きておる。そちらが敵意を持たぬならこちらも危害は加えぬ、銃を下ろすがいい」
その言葉で副官は部下に銃を下げるよう命令し、肩から下げている無線機のマイクを使って通信をはじめた。
「勝吏様、現場を押さえました。どうぞ」
「了解した。待つがいい」
不敵なあの男の声が聞こえた。
声の主・芝村勝吏準竜師はすぐに現れた。アパート前の市道に駐められた大きな黒塗りの車が窓からちらりと見えた。
どうやらすぐ下で待機していたらしい。
(趣味の悪い人だ)と思ったがもちろん口には出さなかった。
「善行。お前、遂に我がイトコ殿に手を出したな」
準竜師はいつもの尊大な表情で話しかけてきた。
恐らく奥様戦隊あたりが情報を流したのだろう。で、マークされていた、と。
裏切り者め。内心舌打ちする。(それとも私の方が裏切り者なのか?いやはや)
ま、バレてしまった限りはフォローしないと仕方ないのでさっさと切り返す。
「手を出した、なんて下品な言い方はお止めください。
これは『双方合意の上』での行動で・す・が。なにか文句でもお有りでしょうか?
その分二人とも仕事は必要以上にこなしているつもりですが、ね」
私は口を片方上げてそう答えつつ、同意を得るように隣に立つ舞の肩をぎゅっと引き寄せた。
彼女は紅くなってうつむいている。この手の修羅場には慣れていないのだろう。ごめんなさい……。
「いや、文句はないのだが。『合意の上』な・ら・ば。
そうでなければ俺の権限でお前を銃殺刑にしてやるところだったぞ」
がはははは。と準竜師は笑った。いつも思うのですが……準竜師、同年代のくせにオヤジくさいです。
「それに、お前の仕事が優秀なのは上官である俺がよく知っているつもりだ……
今日は、ひとこと言いたくてわざわざ来たのだ」
準竜師はそこで一呼吸置いて続けた。
「今、『合意の上』かどうか聞いたが、それならばもちろん『芝村一族の掟』は既に聞いているのだな?」
「……芝村一族の掟、ですか?」
私も関係者として芝村家の変わった掟の幾つかは知っているが、さすがに全部は知らない。
「なんだ、舞。お前言ってなかったのか。それでは、今ここで自分から言うがよい」
舞はそこで、とてもとても恥ずかしそうな表情を浮かべた。
……なんだ?
しばしの沈黙の間を挟んで、しびれを切らしたように準竜師が
「お前が言わないなら俺が代わりに言ってもよいのだぞ?」
と下卑たニヤーリ笑いを浮かべた。
「いや、私自身のことだ。自分で言う……」
舞の声が恥ずかしさで震えている。彼女はそこで意を決したように口を開いた。
「芝村には『はじめに契りを交わしたものと結ばれなければならぬ』という掟があるのだ。
…………。こっ、これ以上言わせるでない」
私は絶句した。息を呑み、喉仏がゆっくりと上下するのを感じる。頭の中がぐるぐるする。
『はじめに』……『契り』……って、そんな、壬生屋さんの家じゃあるまいし、
あの合理性の固まりのような芝村一族にそんな古めかしい掟があるなんて。
私は必死の理性をもってこの世に意識をとどめた。
今までの人生で自分のおバカさがこれほどまで悔しかったことは、ない。
準竜師は、この事態が楽しくてたまらんぞー俺は。とでも言いたげな表情で続けた。
「動揺するところから見て、どうやらお前、本当に知らなかったようだな。
舞、どうしてそなた言わなかったのだ?」
「昨夜、言おうと思ったのだが……その……あの……」
舞はしどろもどろになっている。少しの逡巡のあとでようやく
「そっ、そこで、く、口を……塞がれて……しまったのだ……ッ」
とだけ言うと、彼女は真っ赤になってうつむいてしまった。
瞬間、場にいた全員の冷たい視線ビームが一斉に私の方に集まったことは言うまでもない。
ようやく私は昨夜の舞さんが行為の前に何か言いかけていたことを思い出した。
焦ってしまったことを後悔する。教訓『人の話は最後まできちんと聞きましょう』。
ああッ、僕はバカです。サイアク。
「まあ、いい。責任……古い言葉だがな……はちゃんと取るだろうな?
そうでなければ俺の権限で銃殺だ」
準竜師は確認するように尋ねてきた。こうなったら「もうヤケ」だ。
私は腹をくくった。
「はっ、もちろんであります」
「式は来週の日曜でいいな?盛大にやるぞ。といってもこんなご時世だからそれなりに、だが。
そちらも忙しいだろうから準備はこちらでしてやろう。
新しく親戚になる者からのささやかなはなむけだと思え」
準竜師はなんだかとても楽しそうだ。
「そんなに急な話なんですか……」
私は唖然とした。
「めでたいことを早く行うことに不満は無かろう?ましてや戦時中だからな。
2人とも、せめて来週までは生き延びろよ。俺も楽しみだ。がはは」
そこまで言うと準竜師はチェシャ猫みたいにニヤリと笑った。
◆
準竜師たちはさっさと引き上げていき、物語のはじめに戻ったように私と舞は部屋で再び2人きりになった。
こうなると改めて照れくさい。
「あの、あんなこと言った後で何ですが……」
「な、なんだ」
恥ずかしそうな表情で舞は答えた。
「あなたの相手が私なんかで良かったのでしょうか?」
急に不安になって尋ねる。
「悪いわけは……なかろう。そなたは自分にもっと自信を持つがよい」
舞は私の腕に手を伸ばしそっと寄りかかると
「そなたは、私が選んだ相手だぞ?」 と可憐な花のような微笑みを浮かべた。
しまった。もしかして私の方がやられたのかもしれないな……。
まあ、いいか。かわいくて強い女の子。愛しています。
戦時中でいろいろ不自由ですが、私の出来る限りは幸せにしますよ。
……と、そっと心の中で呟いた。
色々あったおかげで、私はこの時点で既に一日が終わったような疲れを感じてグッタリした。
ふと時計を見る。
「まだ登校時間まで余裕がありますね」
「そ、そうだな」
「もう一度寝直しましょうか?」
バシッ。
舞は私がヘンなことをすると思ったのか、平手打ちをした。メガネがどこかへ吹っ飛んだ。
◆
「進歩的な芝村一族にしては『あれ』はずいぶん保守的な掟かと思いますが?」
生徒会参謀室へ帰還する車の中で、更紗副官は芝村準竜師に訝しげに尋ねた。
「人は恋すると愚かになるという。案外今でも通用する掟かも知れぬぞ。
いつでもどんな時でも強く賢くなくては『芝村』はとても勤まらぬからな。
そこで自らに相応しい『強い』相手を直感的に選択するのが我ら一族だ。
今回も、まあ、あの男なら相手に不足はないだろう。
――それに、好きな者を守ろうとすることで更なる強さを得るということも、ある」
準竜師は一瞬窓の外を眺めた。遠くの空で大きな鳥が飛んでいるのが視線に入った。
さらに続ける。
「それに、この掟が嫌ならば芝村を辞めれば良いだけの話だ。
『芝村』という名前に守られた権力は無くなるだろうが、
それでも我がイトコ殿ならば十分立派にやって行けるだろうからな」
がはははははははと準竜師は、笑った。いつもより「は」が多かった。
副官はそこで「もし私が勝吏様を押し倒したら結婚してくれるのかしら?」
と思ったが、準竜師が「ソックス」にしか興味ないことを知っていたので行動しなかった。
そして「もしかして『この掟』のせいであんな『変態』になったのかしら……」と遠い目をした。
おしまい。 |