「戦争しか知らない子どもたち」
ナナシノ
授業をサボって、日の当たる場所にいたんだよ。 (「トランジスタ・ラジオ」 / RC SUCCESSION)
一組クラス体育の授業中のことだ。担当の坂上教官がなかなか現れないので皆だらだら喋ったりして緩んでいた。
暫くしてそれぞれ自主訓練でもするか……という雰囲気がなんとなく持ち上がった頃、
どこから見ても目立つ派手な格好の本田教官が走って現れた。
「おいお前ら!悪いが、坂上先生は急な用でこの時間は来られなくなった」
その言葉に皆がホッとした次の瞬間
「ということで俺が代わりに行う!……今日の体育は、マラソンだ!」
と本田は大きな声で宣言した。えーっ!?そんなぁ〜。という全員の悲鳴をよそに彼女だけがやたら張り切っている。
「ちょうどこの時間が空きの俺がここで見張ってやるからサボんなよ」
体育だけならオール5だ!と先頭に立って張り切る若宮、
顔色一つ変えずに黙々とひたすら走る来須。
スカウトコンビ以外のメンバーはヘタレつつも校庭のトラックをぐるぐる廻っていた。
「いい加減にして欲しいよな、全く。サボりたいよ」
ののみを肩車しながら瀬戸口はヒーヒー言いつつ走っている。けっこう器用である。
「サボっちゃめーなのよ、たかちゃん」
高いところが怖くないらしいののみは風に吹かれて楽しそうだ。
「なあ、速水、なんかさ、走ってる、人数、少なく、ねえ?」
滝川が切れ切れな息で速水に話しかけてきた。
「そう言われれば……」
速水はひーふーみー。と指を差してトラックの人数を数える。
「本当だ、ひとり足りないね。誰だろう」
「だろー?」
「そなた達、何を話しておる」
足は少しもたついているが気力だけは一杯という感じの芝村が2人の間に割って入ってきた。
「ねえ舞、誰か足りないと思わない?」
「確かに……」
芝村も同意する。
*
「ふう、なんとか我脱出ニ成功セリ。トラトラトラ、と」
その頃――こっそり校庭から抜け出した張本人、善行委員長はひとりプレハブの屋上にいた。
サボっているのが見つからないよう姿勢を低くして床にひょいと腰を下ろす。
彼は校庭の若きランナーたちを遠い目で眺めた。
皆、一所懸命かどうかは知らないがそれなりに必死に走っているように見える。
(少なくとも私よりはまじめでしょう。
それに、大体一回りほど違う年令差の学兵たちとおなじメニューをこなせという方が
まったくもって無理な話ですね。そうですねそうですよ)
と、善行は自分の行為を見事に正当化した。
丁度その時。カンカンと誰かが金属を踏む、階段を登って来る音が彼の耳に入ってきた。
見つかったら不味いなと善行は思ったが、他に行き場のないここで隠れるわけにも逃げるわけにもいかない。
誰が来たか知らないがこうなったらもう何とかして言いくるめてしまえと彼は頭の中で素早く作戦を練った。
長い軍隊生活でこういうことには慣れている。
階段を登る音が途切れて、穏やかな時間への侵入者が姿を現した。
それは2組の整備主任で副委員長、そして善行の昔の彼女。原素子だった。
今はさほど仲がよい訳でもないが、積年のなんとやらで気心はそれなりに知れている。善行は少しだけ息を抜いた。
「あら、なにしてるの貴方?サボり?」
屋上の風で軽くめくれるキュロットの裾を手で押さえながら原は
じろじろと善行を眺めると、目を細めて意地悪そうに訊いた。
「サボりとは言い方が悪いですね。『司令権限による自主的休講』です」
眼鏡を指で押し上げて善行は答える。
「ふーん。上手いこと言うのね。まあ、貴方は昔から口だけは達者だったけど……」
原はいつもの顎に手を当てる格好をした。無意識だと思うがそれは善行があごヒゲを撫でる格好とどこか似ている気がする。
それとも単に自分の考え過ぎか。少しだけ善行の古い傷がきしんだ。
「ふふっ。本当は私も『主任権限で自主的休講』なの。
芳野先生の道徳の授業なんかかったるくて受けてられないわ。
大人のクローンなんて私より人生経験もないクセに、冗談じゃないわよ」
原は校庭の方をふと見た。
「一組は今の時間はマラソンなの?」
「そうです、さすがに若い子たちと走るのは勘弁ですよ。まあ、貴女と同じ様な理由ですね」
「私は今でも若いわ。貴方とは違って」
原は断言した。
(……何言ってるんですか。私は見ましたよ、軍属履歴書で年令詐称しているのを)
善行は数ヶ月前に書類に判子を押したときの驚きを思い出したが、
戦場以外であっけなく死ぬのは実に不名誉なのであえてその辺には触れなかった。
こうしてじっとしていると、どこまでも続く青い空のカンバスの中で白い雲が颯爽と流れて行くのがよく分かる。
煩雑な世界からこの屋上だけが別世界のようだ。善行はひとり呟いた。
「私が本物の学生の頃は、まだ世間ものんびりとしていて……
遊んだり、アルバイトをしたり、恋をしたり。楽しかったですよ。
受験勉強は大変でしたが、あれは失敗が即、死に繋がるわけではない。
戦争は海の向こうの遠い国の出来事でした。私には関係ない話だと思っていました、あの頃は」
原は黙って聞いている。善行と少しの年齢差はあっても、
彼女の学生時代も彼の過去と同じような雰囲気だった。
「今の子どもたちは戦争をしている毎日が日常です。ぎりぎりの生を生き、死に死ぬ毎日。
昨日の出撃の時に友軍が全滅しましたね。彼らは中学繰り上げ卒業の部隊だったそうですよ。
私は子どもたちを不憫に思います。全く、どうしてこんな事になってしまったのか……」
善行は遠くの景色に視線を移し、遣る瀬無いという感じで一度だけ舌打ちした。原はそんな彼を見て呟く。
「そうね。でも、あの子たちはあの子たちなりに結構楽しそうにやっているわよ?
私たち年長の者がとやかく言う程じゃないわ。戦いの中にもささやかな喜びや楽しみはあるのよ」
少なくとも私は貴方とここで話せて嬉しかったけど……と
珍しく素直に原が言いかけたちょうどその時
「善行司令!みーつけたーっ」
速水と芝村が階段を登ってきてサボり罪の犯人を発見した。
すかさず芝村が1組全員の多目的結晶に「善行を屋上で発見」と入電する。
間を置かずに合図を受け取ったマラソンランナー達がドドドドドドとブリキの地響きを立てて
屋上に登ってきた。
少し遅れて本田もおまけに付いてくる。
「善行!お前こんな所で平気でサボってんじゃねえ。しかも、デートかよお前らッ!」
「あっ、本田先生。これは仕事の一環でして……原整備主任と打ち合わせをしてました。
そうですよね、原整備主任」
善行は原の方を向いて目配せする。ところが、困ったように一瞬眉を寄せた原はきっぱりと答えた。
「違います。私は授業中に気分が悪くなって……新鮮な空気を吸って休憩しようと思って屋上に来たんです。
そうしたら、善行司令はここでサボっていましたけど」
(貴女、私を売りましたね〜)
恨みがましい善行の視線を原はプイと逸らした。
残念ながら、今度ばかりは彼に幸運は働かなかったらしい。
「はーん、どこが仕事だよ!それにお前、書類とか何にも持ってないじゃねえか。罰としてトラック50周追加な。さっさと行け!」
「そ、そんな……」
「善行、頑張って。私は授業に戻るわねー」
原はふふ。と口に手を当てて笑うと、一人悠々とした顔でつかつかと階段を下りていった。
「分かりましたよ。走ればいいんですね」
善行は腹をくくった。
「そうだ、ちゃんとやれ!委員長は皆のお手本だ!」
本田の言葉に皆が笑った。善行もつられて一緒に笑った。……ただ、一人だけ顔が引きつっていたが。
*
「これは、堪りませんね……」
次の時限にずれこんでまで善行はひとりでトラックを廻っていた。今度は、先生も公認のサボりである。
汗がだらだら流れ、片腹がひどくさしこむ。
疲れでボーっとした頭にさっきの原の言葉と、善行を発見した時の皆の笑顔が浮かびあがる。
「戦いの中でもささやかな喜びや楽しみはある、か」
そうかもしれない。彼は思う。どんなところにも喜びはあるのだということ…………
教室に戻った原は国語の授業を退屈な気分で受けていた。
教科書を置いて、それとなく窓の外に視線をやると校庭で善行が走り込んでいるのが見えた。
足元は少々ふらついていたが、何故かその顔だけは愉快そうに笑っている。
「なに笑ってるのかしら?」
たまには珍しく、次の休憩時間にコーヒーでも差し入れてあげようかしら。
……あの頃みたいに……。想像すると原はなんだか楽しい気分になって、
戯けるように手元のシャーペンを器用にくるりと一回転させた。
−終−
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