「StrayCage」 迷いの檻−Mai VERSION−
「……終わった……わ……」
舞は痛みと衛生兵の萌の言葉に一瞬顔を強ばらせた。
パイロットとして配属されて数ヶ月。
同じことを何回繰り返しただろう。と左腕の注射痕をこすりながら舞は考える。 回数は多目的結晶内蔵のカレンダーを見れば直ぐ分かることだが、 それより、どうもこの注射に慣れないという事が気に掛かっていた。
戦闘の際、出撃前にパイロットには 敵に対峙する恐怖を押さえるための安定剤と攻撃性を増強するための興奮剤を 効率良く配合した薬が注射される。 クローン技術とウォードレスであらゆる能力を高められた第六世代向きに 調整してある其れは、第一世代である彼女には少々効力が強すぎた。 しかも、打つ度その作用は高まっている気がする。
「舞、今日はなんだか少し顔色悪くない?」
速水が足場の悪い移動用トラックの中で話しかけてきた。
「なに、大丈夫だ。私はいつもと変わってはおらぬぞ」
舞は親友に余計な心配を掛けないように言葉を返す。
「そう。もし調子悪くなったら言ってよ。舞は身体弱いんだからさ……」
……まあいい。たいしたことではない。 それに、戦っていればその最中は何もかも忘れられる……。
目的地にたどり着くまでまだ時間がかかる。 舞は気怠そうに目を閉じてトラックの振動に身を任せた。
◆
戦闘終了後、舞と速水は3番機のチェックをしていた。 激しい戦闘で手こずった割には損傷は少ないようだ。
「照準ナビゲーションシステム、他、異常箇所はないみたい。次、対G確認に行くよ」
「…………。」
反応がない。
「……舞?どうしたの」
「すまない、少し気を抜いていた。今日は反応速度のテストを先にしてくれないか」
「大丈夫?戦闘の前も顔色悪かったけど……。今日は先に帰っていいよ」
「いや、私はまだ行ける」
舞は声のトーンを上げた。
「だめだよ、無理してるんだろ?」
速水は3番機のテスト回線を強制切断して手を止めた。
「何している。早く再接続するがいい」
無理のきかない自分に舞は苛立った。身体の温度がいつもより高く感じる。風邪か、それともやはりクスリが効きすぎているのか。
「疲れてるの、声で分かるよ。本当に、休んだ方がいい。 頑張りすぎたらまた倒れちゃうよ。残りのチェックは僕がやっておくからさ、あと少しで終わるし気にしないで」
「でも……」
「舞が降りないかぎり僕は再接続しないからねっ」
普段は温厚な速水だが、時々どうしても譲らない時がある。
「分かった。今日はそなたに任せる」
「うん!お礼に今度紅茶奢ってくれたら嬉しいな」
自分のコンソールの電源を全て落とし、舞はタラップを降りた。
言い出したら引けない芝村の性格を考えて、 速水はあえて自分から我が儘を言うことで私を休ませてくれたのだろうか? 友人という物は有り難いものだな。ハンガーを退出し赤い夕焼けの中で舞はしみじみと思った。
この部隊に来てから私は確実に変わった。 それは頑なだった氷が融けていき、角が落ちるような感じで。
代わりに得たもの。友人、思い出、そして――――彼女はひとり、頬を赤らめた。
独りの部屋にまっすぐ帰るのは少々気詰まりだったので 舞は小隊長室に向かおうとしたが、今の状態の自分では 仕事の邪魔にしかならないだろうと思ったので止め、 代わりに整備員詰め所に寄った。 薄っぺらい布団を敷いて舞は横たわり休憩を取ることにする。 なかなか寝付けなかったが、こうしてじっとしているだけでも疲れは取れるものだ。 何気なく小隊長室の方角に顔を向けると灯りが点いているのが見えた。 あの灯りの下で、きっと善行はまだ忙しく仕事をこなしているだろう。 そう思うと舞の小さな胸がほんのり温かくなった。
軽く仮眠を取ってすこし元気を取り戻した舞は、新市街に寄り道して速水の為にいつもより上等な紅茶を買った。 さすがに今日はもう帰ろうかと思ったが足は自然にもう一つの家に向かってしまう。 アパートの玄関まで行ったが鍵が掛けられていた。先日貰った合鍵でドアを開けて入り、電気を付け、食事の支度をする。 かんたんな夕食が出来たところで昨日取得したテレパスセルを使ってみると、どうやら目当ての相手は未だ小隊長室にいるらしい。
「まだ残業中か。まあ、あまり遅いようなら帰るとするか」
にゃあ。舞のすぐ後ろで声がした。
「うん?」
振り返って足元を見ると、黒猫がすり寄ってきた。初対面の時は扱い方を知らなくて手荒く引っ掻かれたものだが、 今では舞の親友だ。抱き上げて、顔を見合わせる。
「そなたのご主人様は遅いようだが、帰ってくるまで私と一緒に遊ぶか?」
「ニャーン」
黒猫は頷いた。
少女と黒猫がじゃれているとようやく家の主人が帰宅した。 舞が善行の方を見ると黒猫は2人の間の気配を察したのか舞の腕からするりと逃れると奥の部屋に行ってしまった。
「遅かったな。夕食を作っておいたから食べるがいい」
「済みません。少し立てこんでましてね。さすがに、今日はあなたも家に帰ってしまったかなと思ってましたよ」
「気にするでない。私がここで待っていたかったからそうしただけだ。それより、何かあったのか」
善行は一瞬、はっとした顔で舞の方を見たが直ぐにいつもの表情に戻った。
「ん?どうした」
「いえ……なんでもありません。何でも……ね」
事情は訊かないでください。と彼の視線が訴えているような気がして、 舞はそれ以上追求するのをやめた。
◆
今日も暗い部屋で数少ない時間をふたりは過ごす。迷いを見せる善行に、舞は先日
「もっと私を信頼するがよい。そして、手足として使ってほしい。いつか死ぬとしてもそなたの元でなら本望だ」
と告げた。それが彼女の本心だった。
――そなたの為なら、何でもできる。命を懸けることも惜しくない。
何も知らなかったちっぽけな存在の私に 愛することや愛される歓びを教えてくれた人。私の大事なカダヤ。
私は代わりに与えられるものは何も持っていない。だから、せめて私の命を自由に使うがいい――
「その、なんだ。今日は……しないのか」
ただ抱きしめられた後のまどろみの時間。舞は善行の広い背中に頭をもたれさせた。
「何を、ですか?」
言いたいことが分かっていてもわざと訊き返すのが彼の悪い癖だ。
「そっ、そなたは意地が悪いな……だから、その……。こっ、これ以上言わせるでないッ」
舞はその場から恥ずかしさのあまり消えたくなった。
「ああ。今日の出撃では疲れたでしょう、だから止めておきますよ」
善行は舞の頭をぽんぽんと叩く。 なんだかお子様扱いされている気がしないでもないが、 大事にされている事が伝わってくるので舞はこの動作が好きだった。
でも、だからと言ってあまり甘えている訳にもいかないとも思う。
「そうか。では、帰る。いつも世話になるのも悪いからな……」
彼の淡泊な答えで舞はその場を素っ気なく立ち上がった。 善行は彼女のすらりとした腕を取って軽く引き、押し止めた。
「そんなに早く帰らなくてもいいでしょう。ゆっくりしていってくださいよ」
「そ、そうか。それなら、まあ、もうすこし居てやっても良い」
言葉だけ取ると偉そうに聞こえるが彼女はかなり照れている。
◆
「今日は疲れましたね。眠くないですか。すこし休みましょう」
「ああ……」
明かりを消して二人はセミダブルのシーツにくるまった。 善行はさっさと寝入ってしまったようだが、舞は未だ目覚めていた。 パイロット用のクスリの効果が残っているようでどうも寝付けない。
――戦う為に高められた攻撃性。
目的地を見失ったベクトルは内側に向けられた。身体が火照り、不可思議な高揚感に捕らわれる。 体内の情熱を逃がすように温度の高い息を吐き、舞は善行の方にぎゅっと身体を寄せた。 瞳に映る景色がひどく揺らぐ。
「……そなたが……欲しい……」
舞は眠っている善行に向かってひとりごちた。
「ま、舞さん?」
熱に浮かされ普段と違って積極的な舞の様子に、かすかに意識の残っていた善行は眠りの世界から強引に現に戻された。
「はっ。そ、そなた、ま、まだ起きていたのか」
すっかり眠っているものと思いこんで、随分はしたない事を言ってしまった。舞の顔が瞬間沸騰で真っ赤に染まる。
「どうしたんですか?こんなこと、あなたが言うなんて」
心配そうな言葉とは反面、嬉しそうに善行は問いかける。
「その、か、身体が……熱く……て。おかしくなりそうなのだ……あッ」
狙った獲物を捕らえるように善行は舞の顎に指をかけてゆっくり顔を近づけ、彼女の柔らかな唇の甘い感触を充分に味わう。 次に桜貝に似た造りの耳朶に行為の感想を低く囁いた。
「今日はやけに積極的ですね。こういうことをされると、さすがに僕も我慢できませんよ」
「……だったら、そなたの好きにするがいい」
舞はぼそりと呟いた。
「いいんですか?」
「な、何回も私に同じことを言わせるでない……」
陶器のような舞の白い肌がとても綺麗な桃色に染まっている。 その艶色を愉しんで眺めながら善行はそこかしこに紅い花を散らした。
「堪りませんね。僕の体温も上がりそうですよ」
「……ばか……」
しなやかな2つの若い情熱は、お互いを愛で満たしあった。
◆
「……はぁ、はぁ……ふぅっ……」
舞は目を閉じて荒い呼吸を整える。身体の熱が潮のように引き、全てから解放されるのを感じた。
「大丈夫ですか?」
「ああ。これで、眠れ、る……」
善行の心配する声を聞くと、クスリに囚われていた身体からふわりと力が抜けあっという間に舞は眠りの手に堕ちてしまった。
「もう少し色々したかったですが、ま、仕方ないですか」
司令がパイロットをこれ以上疲れさせる訳にもいかないですからね。と善行はちょっとだけ残念に思いながら 身体を優しく拭うと慣れた手つきで手持ちのシャツに着替えさせる。 その間ずっと彼女は満足そうに目を閉じて幸せそうに寝息を立てていた。
「……す……」
「ん?何か、言いましたか?」
善行は夜の中で聞き耳をたてた。
「……ぜんぎょう……もっと……してよいぞ……」
眠っている舞は夢の中でも芝村的に愛の告白をしているようだ。
「ははは……。これは、参りましたね」
目を細め、部隊の誰も見たことの無い表情で善行は微笑んだ。
◆
「しかし、舞さんったら今日はやけに積極的でしたね。ふふふ」
先程の行為を思い出してデレデレとやに下がっている途中、彼は記憶の中の一点の翳りに気づいた。 一点の曇りはあっという間に広がりタールのように黒い染みを作った。
「……まさか。いや、でも……」
善行は真剣な表情に戻ると急いで舞の多目的結晶に携帯端末をつないだ。
「すみません、ちょっと分析させてもらいますよ」
司令権限と電子妖精を使って強引にアクセスする。 固いプロテクトに散々苦労しながらキーを叩いて数値を入力すると 端末のモニターに黄色がかった棒グラフが現れ、その上部に赤い文字で【CAUTION!】と警告メッセージが出た。
悪い予感が的中し、善行は苦い面持ちで額に手を当て重い瞼をしばらく閉じた。
「……まずいな。やはり、ブレイン系の中毒症状が出ていたのか」
パイロットに注射されるクスリが与える効果はブレイン・ハレルヤのそれと酷似している。 一般には知らされていないが、もともと、両者の出所は同じ研究所だ。 ただ、その使用目的が違うだけで。
完全な中毒になってしまう前に気づいたのが幸いだった。 応急処置としてワクチンプログラムを走らせておく。これでしばらくの間は症状が軽減されるはずだ。
「岩田君に相談して彼女専用に弱いクスリを合成して貰った方がいいですね」
国際法違反の士魂号を使っているだけでも充分罪深いのに、それ以上のことをしている。 非人道的な我々。
もはや、これ以上罪を重ねるのも同じかもしれないが……
でも、今まで彼女は中毒症状に気づいていなかったのだろうか。と彼は考える。副作用は出ていなかったのか。 いや、そこまで彼女は鈍くないはずだ。
もしかしたら。気づいていても、第六世代の皆と同じ立場で戦うためにあえて舞は接種を受けていたのかもしれない。 善行はその可能性に思い至ってぞっとした。彼女の性格ならありえる。劣る体力を隠し、己の身を削って他人に与える生き方をしている少女。
「一番酷いことをするのはいつも人間だ。『生き残るにはなんでもする』とは皮肉だな。 手を汚すのは私だけでいい」
彫刻のように苦悩を刻んだ暗い顔で善行は呟く。モニターの色が反射してこころなしかその瞳が紅く光った。
END.
◆あとがき◆
久しぶりにシリアスSSをアップです。『迷いの檻』の舞バージョン、ということでタイトルはそのまま英語にしてみました。
某Moonridersの暗い曲を心のBGMにしていたら、つられて自分の予想以上にダークな話になってしまいました;
ガンパレというゲーム自体が「暗い」ので一度暗い話を書いてみたいな、とは思っていたんですけど……。
この話は本来はもっとHな雰囲気テイストだったのですが、 そうすると載せられないので文章を代えたり削ったりしました。 でも削ったらこれで良かったような気が…;(<良くあるパターンです)
この続きはハッピーエンドです、たぶん。
2001/12/02 / Nanashino