「王女殿下(プリンセス)のティータイム」

板野三郎様からのいただきもの

1.昼、味のれんにて

 「明日は、誕生日ですね」
 善行が箸を止めて、口を開いた。
 「…何で知ってる」
 舞は、ぶっきらぼうに答えた。
 「そりゃあ私の手元には、皆さんの資料がありますから」
 「それで?」
 善行は微笑した。

 「何が欲しいですか?」

 舞は耳まで赤くなった。
 「な、何…って、その…」
 「折角貴女と公認の仲になったのですから、何か特別なものを差し上げたいと思いましてね。どうせなら、貴女の好きなモノでも、と思ったのですが…」
 「…プレゼントなど…要らぬ」
 善行は怪訝そうな顔をした
 「何故です?」
 「今は戦争中であろう?物資も無いのに、そんな事をしていてはな」

 嘘である。

 その様な好意的なプレゼントなど今迄貰った事のない舞としては、言って貰えるだけでも相当に嬉しかったのだが、芝村としてのプライドから、少しだけ見栄を張ったのだ。
 だが、善行は気が付かないかの様に、残念そうな顔をした。
 「確かにそうですね。これは失礼をしました」
 簡単に引っ込められて、舞は軽い失望を覚えた。

 (そなたはそんな鈍い男ではない筈だろうが!)

 我知らず、箸の動きが早くなる。
 「どうしました?」
 呑気な声に、ムッとして返す。
 「…何だ?」
 「いえ、不機嫌そうな食べ方なので。何か気に触りましたか?」
 心底不思議そうな声に、むかついた声を出してしまった。
 「いや。何でもない」
 「とてもそうは見えませんが?」
 「何でもないと言っておろうが!」
 つい、大声を出してしまった。
 店内の客に見られて、思わず舞は下を向いた。
 「…何でもない。気にするな」
 「そうですか?」
 それでも余りに呑気な声に聞こえて、更なる怒りが浮かんでしまった。
 これ以上此処にいると暴れてしまいそうだ。
 舞は立ち上がった。
 「どうしたのです?」
 「帰る。親爺、此処に置くぞ」
 「舞さん?」
 鈍い恋人に罰のつもりで、無視する事に決める。
 お金をカウンターにおいて、舞は味のれんから立ち去った。


2.ハンガー発・16時

 「全く、あやつは、何を考えておるのだ!」
 舞は苛々とレンチを振り回した。
 頭の中が沸騰して、猛烈に熱くなっている気がする。
 「芝村が素直に感情を出すのは、憚られる場合もあるのだぞ!」
 ガン!
 スパナの先がぶつかって、士魂号の蓋に傷がつく。
 「それと察してくれれば良いものを、何他の者達の様に、あっさり真に受ける!」
 ガラン。
 立てかけていた工具が、舞の肘に当たって床に転がった。
 「あの、さ、芝村…」
 苦笑しながら、隣の速水が声を掛けた。
 「何だ!私は機嫌が悪いのだぞ!」
 「…見ればわかるよ」
 「じゃあ何の用だ!」
 「直す気、ある?」
 言われて舞は、改めて周囲を見渡した。

 「…」

 速水は、すまなそうな笑顔を向けた。
 「…一寸、休んできたら?」
 舞は一瞬、『馬鹿にするな!』と怒鳴りかけて、思い直した。
 流石に速水の心配りに気付いたからだ。
 午後の授業が終わって、だんだんハンガーには整備士が集まってきている。仮にも芝村を名乗る自分が、たかが恋愛で当たり散らす様を見せるなど、以ての外だ。
 「…済まぬ」
 速水に小さく謝って、士魂号の側を離れる。
 「いいえ、どう致しまして」
 返事をを返す速水に、ちょっぴり苦い表情がある事には、舞は気付かない。

 大股にフロアを抜け、二段飛びで階段を降りる。
 やはり気分はおさまらない。
 (大体なんだ。あんなにあっさりに引っ込める程度のものだったら、最初から提案などしてこなければ良いではないか!人を喜ばせておいて、簡単に失望させるとは、カダヤにあるまじき行為であろう?それを…)
 と、そこまで考えて、少し気に入らないロジックに思い当たり、慌てて訂正する。
 (いや。私は喜んでなど居ない。そんな『誕生日プレゼント』などという安易な事で喜ぶような、安っぽい人間だと思ったら大間違いだ。ふふん、恋人同士になれたからと言って、いい気になるなよ)
 思わず勝ち誇った笑みを浮かべる。
 それを見た整備兵の何人かが、一寸腰を引かしたが、当然舞は気が付かない。
 (原を相手にしていたりするような男だから、色んな経験を積んでいる事で多寡を括っているのやも知れぬが、私は芝村だからな。そうそう優しい顔などしてやるものか。フォションやトワイニングでは籠絡されないぞ?)
 ふと、デジカメ画像で見せて貰った、2匹の猫を思い浮かべる。
 (そうだな、あやつの家に居るとかいう、ふわふわしたもの2匹となら…考えてやっても良いな)
 へら、と舞の顔が緩む。
 小隊のデブ猫も悪くないが、あの2匹も悪くない。
 その表情を見た素子が、顔を引きつらせたまま、「無かった事無かった事」と呟いてPCに向かった事も、勿論舞は気付く筈もない。
 (そうだな。あの2匹が出てきたからと、簡単に許してしまっては面白くない。初めは気のない素振りを見せて、焦らすのだ。あやつめ、慌てるであろうな)
 脳内で焦って懇願する善行を見るのは痛快だった。
 (一寸ばかり長生きしていて、世慣れておるからと、いつもいつも主導権を握りおって…私とて子供ではないのだぞ?我が力を思い知るが良い)

 そう思うのが既に子供的思考なのだと、本人は気が付いていない。

 只でさえ大股歩きの舞である。怒りに任せて歩くと、スピードも層倍だ。
 いつしかハンガーの裏手を抜けて、校外に出ていた。
 只の休憩でハンガーの外に出た筈が、既に本人は忘れている。

 と。

 どぶ川べりのたもとに、背の高い男女の姿が見えた。
 男の背中に見覚えが、あった。
 女が小杉と判った途端、舞の頭は沸点に達した。

 (お、おのれー!わ、私という者がありながら、こんな処でこそこそとー!)

 怒りの余り、駆け寄ろうとしたその時だった。
 「!」
 足が何かに取られて、大きく滑る。

 いや、取られると言うより引っ張られた様な感触。

 舞は無様にも、仰向けに転倒する事となった。
 しかも、受け身も取れないまま。

 (し、芝村ともあろうものが!)

 眼に入る青空に切歯した瞬間、激しい衝撃が後頭部を襲う。

 「舞さん?!」
 「すまん、芝村!」
 「舞サン!大丈夫デスか!」

 三人の叫びが耳に−三人?
 「芝村、えらい剣幕だったばい!」
 (…中村、か…)

 そのまま舞は、気を失った。


3.深夜の官舎

 「…ん」
 舞は、ゆっくりと目を覚ました。
 何やら、違和感のある匂いと、見慣れない風景が、眼に入る。
 「気が付きましたか」
 聞き慣れない男の声を間近に聞いて、思わず飛び起きる。
 「う…」
 軽い目眩が襲って、思わず布団に突っ伏した。
 「まだ無茶は無理ですよ。楽になる迄大人しく寝ていて下さい」
 その声音が、己の恋人の言葉と気が付くのに、少し時間が掛かった。
 「善行…」
 自分のものとは思えない、弱々しい声が出た。
 心配そうな表情が、すぐ側にある。
 「此処は私の家です。未成年の少女を連れてくるのもどうかと思ったのですが、状況は一刻を争う様な気がしましたので。先程まで衛生官にも来て貰っていたのですが、軽い脳震盪の診断が出たので、一旦帰って貰いました」
 「…済まぬ」
 言葉に従って、再び横たわる。
 気が付くと、上着は脱がされ、リボンはほどかれていた。ポニーテールも解いてあるし、ブラウスの胸元と、キュロットのウエストは緩めてある。
 何という格好だろう、と思った途端、身体中が俄に火照った。
 顔が赤くなるのが自分で判る。
 「まだ、痛みますか?」
 言うなり善行の掌が、舞の後頭部に、そっと触れた。

 思った以上に大きく、冷たい手。
 だが、とても心地良い、感触。

 「…!」
 触られた瞬間、どきりとして、身体をもぞもぞさせてしまった。
 「すみません!…痛かったですか?」
 「い、いや…何ともない」
 触った時と同様に、男の手が、そっと離れる。
 「…そんなに腫れてはいないみたいですね。よかった」
 簡単に離れた、その手に若干の名残惜しさを感じている自分に、驚く。
 「…無造作に触ってすみません」
 自分の緊張を見て取ったらしい、すまなそうな声。
 「…よい」
 そう答えるのがやっとな位、恥ずかしさが増していた。
 「その…み、見たのか?」
 「はい?」
 「その…わ、私の…」
 全部は言えなかった。
 だが、善行はそれだけで察したらしく、微笑した。
 「いいえ。服を緩めたり脱がせたりしたのは全て衛生官です。私は、布団を敷いただけで、何も」
 「そうか…」
 安堵と共に、失望感を感じている自分に、また、驚いた。
 (ど、どうしたというのだ、私は…)
 そんな舞を、善行はしばらく見下ろしていたが、不意に立ち上がった。
 「今日は、そこで寝て下さい。私は学校にでも、泊まりに行きますよ」
 俄に不安を感じて、舞は顔に掛けていた布団をはねのけた。
 「だ、だが」
 善行は柔らかく微笑している。
 「私が気になって眠れないのでしょう?良いですよ。他ならぬ大切な貴女の為に、今日は此処をお譲りします」
 嫌だ。行くな。
 恥ずかしさより、居て欲しい気持ちが勝った。
 「ま、待て!」

 自分でも吃驚する程、大きい声が出た。
 善行の挙動が止まる。
 恥ずかしさが増したが、勇気を総動員して、願いを口に出す。
 「…た、大切だ、と言うのなら…こ、此処にいるがよい」
 「ですが…」
 「そなたと共に居たいのだ!」
 煮え切らない男に焦れて、つい、叫んでしまった。
 顔から火が出そうだ。
 「!」
 善行が驚きの表情を浮かべる。
 「舞さん…」
 「い、いや…その…」
 二人の目が合った。
 そのまま、吸い寄せられるように、二人の顔が近付く。
 舞は、目を閉じた。
 静かに、優しい口づけが、為される。
 再び目を開いた時、優しい瞳が間近にあって、心が落ち着いた。
 「…行くな…私を、置いていかないでくれ」
 今度は、素直に言葉が出た。
 「はい」
 「し…芝村らしからぬ言葉と、笑うか?」
 「いいえ」
 男の手が、愛おしむ様に、舞の額のほつれ毛を払った。
 「私の前では、弱音を吐いても良いのですよ…舞」

 とくん。

 舞、と呼ばれた瞬間、身体の奥の何かが、疼いた。
 激しい動悸と共に、強烈に、彼が欲しい、と思った。

 我知らず、男の身体の方に、手を伸ばしていた。

 「…どうしました?」
 「側へ…」
 出来得る力で、その身体を抱いて、自分から口付ける。
 再び、舞、と呼んでくれる声の柔らかさに、心が揺れる。
 震える声で、精一杯の願いを、口にした。
 「…好きに、してくれ…忠孝」
 善行の目が、見開かれ、静かな微笑になる。
 「わかりました」


4.夜明けにお茶を

 次に目が覚めたのは、明け方だった。
 後頭部の鈍い痛みは消えていたが、全身に別種の疲労感が残っている。
 そして、下半身の異物感は、まだ消えていなかった。
 舞は、昨夜を思って、頬を染めた。
 「目が覚めましたか?」
 どきりとして、声の方を向く。
 昨夜舞の処女の証を奪った男は、すっかり身支度を整えて、何かを乗せたトレイを持って立っていた。
 その顔を見ただけで、昨夜の所行が次々思い出されて、すっかり恥ずかしくなってしまった。
 「…早いのだな」
 恥ずかしくてまともに顔が見られない分、口調がぶっきらぼうになった。
 「ええ、今日は特別ですから」
 穏やかな答えと共に、トレイがそっと枕脇に置かれた。
 「起きられますか、舞」
 「…ん、ああ」
 芝村では当たり前な筈の、名前を呼ばれるという行為が、とても特別に感じられる。
 他人行儀の様な、さん付けが無くなった所為だ、と気付いた。
 「じゃあ私は、仕事があるので出ます。朝食と此処のカギは此処のトレイに乗ってますから、身体と相談しながら登校するようにして下さい。出るなら戸締まりをお願いしますね」
 善行は軽く舞の額に口付けた。
 「昨日は可愛かったですよ」
 「な…!」
 善行は笑いながら出ていった。
 舞は、置いて行かれた事に一抹の寂しさを感じながらも、不思議な程の充足感をも感じて、ゆっくりと起きあがった。
 身体を交わしただけだというのに、この、満ち足りた安心感は何なのだろう。
 全身を包む、穏やかな、夢心地の、何か。

 「フ…」

 だが、何時までも浸ってる訳にはいかない。
 布団から立ち上がった時、シーツに残る、赤いものが眼に入った。
 間違いなく、昨夜の行為の、跡。
 す…と身体に蘇る、男の手の痕跡。
 それは、甘酸っぱい痛みを伴う、ある種幸せな、快楽の記憶。
 舞は、頬に軽く両手を当てて、目を閉じた。

 身支度を整えてから、トレイのかぶせを外してみる。
 ティーバッグを無造作に入れたマグとポットに、トーストと目玉焼き、そして少し大きいシール容器が乗っていた。
 (ティーバッグか…)
 茶葉から入れる紅茶など、今は高級嗜好品だ。幾ら善行が上級将校でも、なかなか手に入るものではない。それに、あの男がコーヒー党なのは知っている。判ってはいたが、こうも無造作にティーバッグで出されると、紅茶好きとしては、かなり失望せざるを得なかった。
 その分、ターンオーバーの目玉焼きが、妙に綺麗に盛られているのに感心する。
 どこで覚えたものか、黄味を潰す事なく器用に作り上げていた。
 (意外な才能だな…)
 何やら知られざる一面を発見した様で、舞は一人ほくそ笑む。

 と、シール容器の蓋に、メモが貼ってあるのに気付いた。

 「?」
 見ると、以前貰ったラブレターと同じ几帳面な筆跡で、


 『私のお手製です。貴女の口に合うかどうかわかりませんが、お早めにどうぞ』


 と書いてある。
 容器を触ると、ひんやり冷たい。
 「何だ…?」
 首を傾げつつ、シール蓋を開けてみた。
 「!」
 容器の中には細かいドライアイスが敷き詰められ、真ん中に小さなガラスの器が収められていた。

 その、器の中に、少し溶け掛けた、薄茶色のアイスクリームが載っている。

 その爽やかな香りは、口にする迄もなく、その種類を明確に伝えていた。
 「…紅茶か!」
 舞は善行の達者さ加減に、舌を巻いた。

 ドライアイスの隙間に、またメモが挟まっていた。
 舞はそれをつまみ上げて、眺める。


「思い出を有り難う。Happy Birthday MyDear Princess」


 「…やってくれる」
 単純に紅茶を渡すのは面白くないと思ったのだろうが、一体何処から材料を調達したのかから考えると、そら恐ろしい位である。あの男の事だから、大分以前から綿密に計画を立てていたに違いない。小杉か中村辺りからレシピを貰ったのかも知れないが、それにしても、アイスクリームとは。

 (…と、言う事は、昨日のアレは全てワザとか!)

 初めから、こちらの反応を探る為だけにやったとしか思えない。
 少しムッとしたが、その香りには抗い難く、舞は一匙すくって、口に運んだ。
 舌の上でホロリと溶けて、サッカリンでは味わえない、涼やかな甘みが広がる。
 これはそのまま、今の幸せの、甘みだ。

 舞は、静かに笑った。

 「あやつには、敵わんな」


−終劇−

2002-08-08 Presents.

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2002/08/25 委員長権限/ megane@kun.love2.ne.jp



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